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《ブルキナファッソ》
チャーターしたタクシーは、赤土のガタガタ道を80km/hほどの速度でとばしていた。この日曜日は唯一の休暇がとれ、せっかくだからとボボジュラッソ(Bobo dioulasso、以下ボボ)からバンフォラ(Banfora)の街までバスで行き、そこからサンドゥー尖峰(Les pics de Sindou)とバンフォラの滝(Cascades de Banfora)を探訪する予定だった。大きな街を結ぶ幹線道路は舗装されているが、そこから一歩でも外れれば赤土のでこぼこ道。平らになっている部分も、行き交う車両の振動でまるで洗濯板の様に規則正しい泥の起伏が続いている。今では見ることもない古いトヨタの四輪駆動車はサスペンションがほとんどへたっているから、路面の振動がまともに体を直撃する。まるで全身マッサージ椅子に座っている体。対向車があれば赤土の土煙は猛烈な勢いで車内を突き抜け、しばらく前が見えなくなる。暑いからもちろん窓は全開だ。

溝に転がった車輪を見る運転手
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突然、ドスン!と大きな音がした。と思ったら車が横滑りを始めた。いったい何が起こったのか私には皆目理解できなかった。道の両側は低い溝になっていて道路からは7〜80cmの段差がある、そこへ向かって車は突進している。助手席に乗っていた私は、これはもうだめだと直感しドアの上の取っ手を握り締め身を構えた。道路から落下しそうになり運転手は慌ててハンドルを切り返し、今度は反対に尻を振り横滑りしジグザグを繰り返したあげく、ようやく車は停止した。

左後輪が無い
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ともかく命は助かった!ホッとして車から降りて見ると、何と左後輪が無い、、、。数十メートル後方の溝の下に脱落したタイヤが、それも車軸と共にころがっている。カートゥーンのアニメマンガではタイヤがとれても車は走り続け、あるいは主人公がぶつかってぺしゃんこになってもすぐに再生するけれど、現実はそうはいかない。タイヤ三つでは自動車は走り続けられないし、高速で車が溝に落ちれば横転し大破し大けがは免れない。道の両側には時折頭に大きな荷物を頂いた女性達が歩いている、ロバがリヤカーを引いている、 荷台にバナナを積んだ自転車がすれ違う、荷物を満載したトラックが高速ですれ違う。もしこの事故現場に人が歩いていたら悲惨なことになっただろう、もし対向車や後続車があったら私たちの命は無くなっていただろう、、、。
《初めてのアフリカ》
アフリカのブルキナファッソ(Burkina Faso)。 Bamboo Orchestraの二人の打楽器奏者、ギヨームとナタナエルを伴い、私は10日間の予定で内陸国ブルキナファッソのボボを訪れた。在ボボ・フランス文化センター(Centre Culturel Francais、以下CCF)と、国際児童演劇祭(Festival International de Theatre Jeune Public、以下FJP)の招きでコンサートとワークショップ。私は今回初めてサハラ砂漠の南、本物の黒いアフリカに降り立った。以前にもエジプトとチュニジアには行っているが、これは地中海沿岸の北アフリカアラブ圏で、本当のアフリカではない。
ブルキナ行きが決まったけれど、準備は簡単ではなかった。
まず黄熱病の予防注射。この証明書を携帯していと入国できない。それも、このワクチンは民間の病院や医者では扱っていないから、わざわざ軍病院にまで出掛けて予防注射を受けた。そしてパリュ(Paludisme/マラリヤ)対策。初めて知ったのだが、マラリヤのワクチンというのは存在しない。ただ、あるのはマラリアに掛かってもすぐに発症しない薬とか、ひどい時には命が危ないマラリアの症状(高熱で震えが止まらない)を軽減する薬とか。そしてそれらの薬は副作用が激しく、吐き気を催したり頭痛がしたり、、、服用しても決して快適ではないとの話。軍病院の熱帯病専門医は、「蚊に刺されてから発症するまでに少なくとも10日程掛かり、滞在期間が短い場合には意味が無い。フランスに戻って来た後、もし熱が出たらすぐに連絡しなさい。それが得策」と教えてくれた。後はマラリア原虫を持った蚊に刺されない様に防御を完璧にすること。部屋に撒く殺虫剤、コンセントに差しておく電気蚊避け装置、そして衣服には蚊除けのスプレー、肌が出ているところには蚊避け塗り薬。もちろん夜の外出は幾ら暑くても長袖シャツに長ズボン、靴下は欠かせない。しかし、マラリヤを伝染するハマダラ蚊は小さく、音も無く近づき、そして刺されてもかゆくもなければ跡も残らない、、、と何だか神秘的な話もきく。この短期滞在中にマラリアに掛かってもしょうがない、予防するに限る。

フェスティヴァルのポスター
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また、現地で怪我をしたり病気になった場合、アフリカの病院で治療を受けるのは逆に危険が倍増するから、そうした場合にはすぐに本国(フランス)に移送してもらう為の保険、というのも契約した。先の様な車の事故、幸いこの保険を使わずに済んだけれど、、、。
一方、荷物を減らす工夫も骨が折れた。我々の普段の5人編成コンサートで使う竹楽器群は重さ650kg、1m四方の木箱4個以上にもなる。そして今回の様なトリオ編成の場合でも重さ350kg、1m四方の木箱2個分。既に中国とレユニオン島でトリオ編成コンサートの経験があるが、楽器空輸の準備は大変だった。大型荷物は我々演奏家と同じ旅客機には積めないので、事前に別のカーゴ便で運ぶことになる。関税が掛からない様に荷物の中身の事細かなリストを作り、あらかじめ税関に申告しなければならない。これをATAカルネ(Carnet ATA)と言う。そして、一箱150kg以上もある木箱は、我々自身では到底運べないから空港運送専門業者に頼まなければならない、経費も掛かる。今回は予算も限られているので、楽器も手荷物の延長で演奏者と共に旅が出来る最小限の方式を編み出す必要があった。竹マリンバもクロマチック音階ではなくディアトニック7音音階の簡単なものだけにした。 既存のレパートリーの半分はカットし、尚かつ音楽的な豊かさを損なわない様に工夫しながら、限られた楽器でも成り立つ曲を新たに作曲し追加した。
《ワガに降り立つ》
首都ワガドゥグー(Ouagadougou、以下ワガ)の空港で飛行機から外に出ると、まるでサウナの様な熱風が待っていた。暑いとは覚悟していたけれどこれはもの凄い!空港は工事中の様子で(たぶんずっとこういう状態なのだろう、、、)、空港内部の通路の壁はベニヤ板、床は土間。パスポート検査に並んでいると、横から「マコト?」と声をかけてくる人があった。それがFJPディレクター、アラン・エマ氏(Alain HEMA)だった。私たち三人を別室に招き、そこで知人らしき担当官による簡単なチェックを済ますと、並んでいる人達を尻目に脇通路の監視員に挨拶し我々を導きさっさと検査カウンターの外に出た。どうやら彼は空港関係者にも顔の効く大物らしい。

ワゴン車の屋根に積んだ楽器荷物
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検査カウンターの後ろはそのまま荷物受け取り場。 ここも土間で、普通の空港で見かけるベルトに乗って荷物がぐるぐる回る様なシステムは無い。天井の扇風機がゆるゆると回っているが、汗がひっきりなしに出てくる。そこに、バゲージを満載した大きな荷車を係員が押してくる。待ち構えていた人びとは、わっと一斉に群がって各自自分の荷物をひったくるのだ。私たちは個人バゲージの他に竹楽器を分解してダンボール箱に詰めたものと簡易包装した荷物が6つ。それらを無事に引き取って外に出る。ここでもアランは係員と談笑し、何の検査も無く待っていたワゴン車に荷物を積み、ワガの宿泊先に出発した。後で判ったのだが、実はアランはテレビの連続刑事ものの主役を演じている俳優でもあり、皆彼の顔を知っているのだった。私たちの目的地ボボは、空港のある首都ワガから3〜400km南西に行った第二の街で(国名がオートボルタだった時代はボボが首都だった)車で5時間も掛かり、夕方に着いた我々はそのままボボまで移動するわけにはいかなかった。私たちの宿舎はなんとソチギ・クヤテ(Sotigui Kouyate)の家だった。 有名だった彼の家だからさぞ豪華だろうと思いきや、単なる民家でもちろん冷房も無ければ、蚊帳も無い。しかし、テラスにあるアフリカ式の籐の寝椅子を見つけ、ここにソチギが特異な眼差しで長い体を横たえて座っていたかと思うと感慨深かった。 何という因縁だろう、私は彼と面識があった。
ソチギ・クヤテは、アフリカを代表する俳優のひとりで、惜しくも先月亡くなった。2009年ベルリン映画祭で男優賞を獲得し、長身で独特の風貌の性格俳優は日本でも彼を知る映画通は少なからずいるに違いない。彼は舞台でも活躍し、特に日本でも上演されたピーターブルック劇団の「マハーバーラタ」では中心的存在だった。 アランも俳優同士で特に親密だったらしく、我々の到着直前に行なわれた大々的な彼の葬儀の段取りにも奔走していたと聞く。
その夜は近所のライブハウスに招かれた。他に言葉が見つからないのでライブハウスと言ったのだが、 道路に面した簡易レストランの脇に演奏用の土間がついている、、、という簡素なもので、照明は薄暗い裸電球が数個ついているだけ。そこでアランが主催する楽劇団テアトル・エクレール(Theatre Eclair)の若い楽団員6人が演奏を披露してくれた。2台のバラフォン、ジェンベ、ドゥムドゥム、そして二人の女性歌手兼ダンサー、、、歌と踊りと強烈なリズム、典型的な西アフリカ音楽だ。 地元ビール「ブラキナ」を飲み、アランが見繕ってくれた食べ物を手づかみで口に運びながら、(といっても暗いから何を食べているのか良くわからない)着いたその夜からアフリカ文化にどっぷり浸かる日々が始まった。
夜が更けても一向に気温は下がらず、ソチギ家の部屋はうだる様に暑い。マラリヤが怖いので窓を開けて寝るわけにはいかない。防虫剤を撒き、部屋を閉め切り、唯一の扇風機を回しながら床についた。扇風機は熱風をかき回すだけで涼しくはならない。汗は流れ続ける、、、結局この夜はほとんど眠れなかった。
翌日、エクレールのバラフォン奏者サミーとジェンベ奏者ヤクバが、我々の荷物をワゴン車のギャラリーの上に高々と積み上げ、正にアフリカスタイルでボボに向かって出発した。首都ワガから第二の都市ボボまでの幹線道路。日本で言えば東京と大阪を結ぶ東海道、舗装されている、検問もあって料金も徴収する。しかし途中は穴だらけの道で、高速で走行するわけにはいかない。中央分離帯はおろか、中央分離ラインも引かれていない場所もある。対向車とすれ違えるだけの10mほどの道幅を、穴を避けながら右に左に迂回し、ときには完全に片車輪を未舗装の路肩の外に出して通らなければならないほど、まるで空爆を受けたかの様に全面穴だらけの場所もあった。最も重要な幹線道路も整備できない、これがブルキナの経済状況だ。
《出会い/アトリエ/コンサート》
さて、ボボに着いた翌日から何とハードスケジュールが待っていた。10日間の滞在中の仕事はコンサートだけではない。子供達のパレードの指導、現地音楽家達との出会い、マスタークラス、、、。

トリオ・ロロとのセッション
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ボボはブルキナだけでなく中西部アフリカ諸国の中でも音楽の中心地として名を馳せ、有名音楽家を多数輩出している。CCFディレクトゥリス、クリスチンヌ女史は、我々をなるべく多くの地元音楽家達と出会わせようと、早朝からほぼ一時間おきにスケジュールを組んでいた。まず街はずれまでセンターの四駆でグループ「ファラフィナ」に会いに行った。車から降りると通りまでバラフォンの響きが聞こえている、ぬかるんだ泥道を歩いて民家の中庭に入ると、そこで彼らが練習していた。ファラフィナは現在80才ぐらいになるというママ・コナテが1980年代に創出したグループで、 ブルキナのアフリカ音楽を世界に知らしめたグループといっても過言では無い。彼らが数曲演奏を披露してくれた。その後我々に一緒に入って演奏しろと促すので、三人はバラフォンとバラとドゥムドゥムを彼らと共に叩いた。 我々は打楽器奏者なのである程度は即興で対応できるけれど、彼らアフリカ演奏家達の乗りにはとうてい敵うわけがない。こんな風にして午前中に何と三つのグループを訪問、その後も毎日、アダマ・ドラメ、トリオ・ロロ、トゥグマニ・ディアバテなど、ブルキナを代表する演奏家達と出会い、そしてセッションを試みた。

子供達のパレード
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午後は子供達のパレードの指導。フェスティヴァル開幕には、市庁舎からCCFまで子供達の竹楽器演奏でパレードをしたいので指導して欲しいと、あらかじめアランからメールで依頼されていた。短期間でパレードを構成するには、ブラジルのバトゥカダ方式が手っ取り早い。 集まった30人ほどの子供達を三つのグループに分け、それぞれスリッタム(竹スリットドラム)、手マリンバ(二音を手にもって交互に叩く)、ケチャ(竹べら)で簡単な組み合わせリズムパターンを作り、それに太鼓とジェンベを加え、私のホイッスルの合図で二つのリズムを交互に変化させるという方式 。参加したのは、普段音楽には馴染んでいない8〜10才位の小学生たちが中心だが、さすがにアフリカの子供達、リズムの飲み込みが早い。
二日間の練習で何とかパレードができるまでにこぎ着けた。 普段は薄汚れて破れたTシャツを着ている子供達が、当日には一張羅の民族衣装柄のシャツに身を包んで現れた。彼らのあどけない表情の中にも、晴れのパレードに参加する緊張が見てとれ、微笑ましく思った。

我々の開幕コンサート
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続いてその夜には、CCFの野外劇場で我々の開幕コンサート。日没と共に始まったコンサートでは、私たちが予想だにしていなかったことが起きた。何と汗が掌にまで沸き出し、手に持つバチが滑ってコントロールが利かない。 演奏中にびっしょり汗をかくのは普段のコンサートでも慣れているが、掌までがぬるぬるになりバチがしっかり握れないという経験は初めてだった。ギヨームとナタナエルも、 「バチが手をすり抜けて宙に飛んで行ってしまうのではないかと演奏中ハラハラした」、と終演後ホッとしながら同じ感想をもらした。そんな風で演奏者側は危なっかしい心境だったが、会場は満足した聴衆の盛大な拍手でつつまれた。最後のアンコール曲では、パレードに参加した数人の子供達が舞台に登場しアンクルン演奏を披露したのも功を奏し、舞台はもり上がった。
さて、子供達のパレード用竹楽器演奏指導と開幕コンサートを無事に終え、後は地元アフリカ演奏家達へのワークショップ、マスタークラスを残すのみとなった。ところが、パレードに参加し舞台でアンクルン演奏もした5〜6人の子供達は、次の日の午後もCCFの庭に現れて待っていた。「もうアトリエは終わりだよ」と言っても、恨めしそうな顔をするだけで立ち去る気配はない。どうやら竹楽器演奏の虜になった様だ。ナタナエルが見かねて、片付けてしまった竹マリンバを庭に並べ、「にぎわいの森」(La Foret Animee)という簡単な曲を子供達に練習させた。子供達は嬉々として習得し、センター中に竹マリンバ合奏が響き渡った。クリスチンヌも音を聞きつけ「すばらしい、ボボ竹の子合奏団誕生! 」と興奮気味で、ディレクター室のある二階バルコニーから身を乗り出して写真撮影に興じていた。

ボボ・竹の子合奏団
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そうは言っても、我々は二三日後にはフランスに戻らなければならない。竹楽器演奏、そして音楽に目覚めた子供達をこのまま放置して帰国してしまうのは後ろ髪を引かれる思いだ。地元演奏家の中にバラフォン製作も出来るという若者がいたので、 彼に竹マリンバの構造と製作方法を説明し、ぜひ地元の竹を使って試作することを提案した。日本の竹とは種類は違うが、直径10cm程にはなるバンブサ・ビュルガリス(Bambusa vulgaris)という熱帯性の竹がブルキナにも生えている。そして、クリスチンヌとアランには、もし竹楽器が手に入らなくてもアフリカの楽器を使って誰かが指導を継続し、この子供達の情熱を無駄にしないで欲しいと懇願した。
《今後の展望》
フランスにいると、アフリカとの距離は日本に居る時より遥かに近い。地中海の向こう側はアフリカ!という地理的な近さだけでなく、フランスに住んでいるアフリカ出身者も多く、アフリカ人演奏家との共演機会も少なからずある。しかし実際に現地に行き、地元の演奏家、そして子供達と竹楽器を媒介にして交流するという経験を経て、今までとは違った、生きている生身のアフリカが見えてきた。今回あまりにも多くの情報を一時に受け取ったのでまだ心の整理がつかないが、大げさに言えば「今後私はアフリカとどう付き合うのか?」という課題の海に膝までどっぷり足を浸してしまった、という感覚だ。さっさと岸に引き返して、足を乾かすか?あるいは沖に向かって勇気を奮って泳ぎ出すか、、、?

現地に生えている竹バンブサ・ビュルガリス
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アフリカ音楽には、音楽にとって本質的で大切な要素がある。譜面などには拘束されず、音楽と踊りが一体になり、体から音楽が沸き上がる。「魂の躍動」と言ってもいい。私の音楽哲学としても、ヨーロッパの頭でっかちな音楽よりは、そういう体から沸き上がる音楽に軍配を上げる。ただ彼らの音楽はすばらしいけれど、竹という素材にこだわり竹音楽を追求している私が、彼らアフリカの演奏家達と共同して果たして何が創出出来るだろうか?という設問が待っている。つまり音楽語法の違う私、そしてBamboo Orchestraとアフリカの演奏家がどのような方法、回路を通じて真の共同創作が実現できるか?である。彼らの民族楽器、コラやバラフォンなどのメロディー楽器、ジェンベ、バラ、ドゥムドゥムなどの打楽器にベースギターやキーボードやドラムスを加えた、近年のアフリカンポップス。これは簡単にできるし流行っているけれど、その様な発展のさせ方に芸術的意味があるとは思えない。アフリカ音楽を生かしたもっと本質的で創造的な方向は無いだろうか?それも竹楽器の音色を生かした新しい音楽の可能性がきっとあるに違いない、、、と模索しているのだ。
ご存知の様に、アフリカには音楽を始めとした文化的豊かさ、そして人間的豊かさと、一方で経済的貧困が同居している。今回飢えて死にそうな人には出会わなかったけれど、音楽家達といえども生活は苦しそうだった。とにかくフランスや日本などの先進国との経済格差は甚だしい。それにブルキナファッソ北部はサハラ砂漠に接しており、砂漠の拡大、南下を防がないと、貧困は増々深刻になる。日本からも外務省の外郭団体JICA(ジャイカ/国際協力機構)の海外青年協力隊の若者達が、数多くブルキナでも活動している。現地でそんな彼らにも出会った。

現地の民家
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たとえボボの子供達が嬉々として竹楽器を演奏してくれたとしても、 単にアフリカに私が考案した竹音楽を普及しようと目論んでいるのではない。実は音楽という狭いレベルではなく、「竹を巡る総合的な文化」がアフリカに根付くこと。そこから恐らくアフリカ文化の新しい方向、発展が可能かも知れない、、、と夢想しているのだ。今の段階では詳しいことは何も言えないが、アフリカにも竹が生えているのに、その竹を有効に利用している場面には出会わなかった。もちろん竹製の楽器も見かけなかった。
竹がエコロジーで有用な植物だということは、この稿でも何度も話しているけれど、アフリカでも竹を有効に使うことが出来るはずだ。竹から紙が作れる、竹から糸がとれ布が織れる、合板が作れる。これらの産業はインドネシア、インド、中国では既に盛んに行なわれ、それぞれの国の経済を支えている。そしてもっと環境に優しい方法は、フランスの企業が考案した自然の竹林をそのまま使った下水浄化装置だ。
竹の根が地中に広く張っていることは昔から知られている。「地震があったら竹林に逃げ込め」と言う、その通り。この広く張った竹の根の吸水力は他の樹木とは比較にならないほど大きい。
もちろん、水の少ない砂漠に竹を直接植えることは出来ない。しかし人里、人が定住し村を構成しているところでは、必ず水があり生活排水が出る。その排水を竹林に導き竹を生育すると共に、広く張った竹の根の強い吸水力と殺菌作用で、薬品などを使わずに下水の浄化が出来てしまう!自然のサイクルをそのまま利用した排水処理装置。こんな単純な発想、誰でも思いつきそうなシステムだが、伐採した竹材の利用という面では様々に考案した日本人も、自然の竹林をそのまま利用するという着想はできなかった。この方式はフランスの企業が国際特許を取得し、フランス国内では既に各地で実現されている。また、はばかりながら私たちBamboo Orchestraも彼らと共同し「総合的な竹文化振興」を画策しているのだ。なぜなら竹林は毎年ある程度伐採することで活性化し、、、つまり竹材が自ずと生み出される、それを有効に文化的に利用することが次の段階で求められているから。
そう、私が目論んでいるのは単なる竹音楽ではない。「竹を巡る総合的な文化」がアフリカに根付くこと。ひょっとしたらその事によって、アフリカに今まで誰も想像しなかった、新しい未来が開けるかも知れない。
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| Makoto YABUKI |
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